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明治生まれのコンピュータ

Google 検索画面で、「こんぴゅーた」と打ち込んでみてください。入力予測機能によって、検索されることの多い候補が順に、自動的に表示されます。
さて、皆様は何が第一入力補完候補として表示されると思いますか?

コンピュータサイエンス? コンピュータ使用法? コンピュータウイルス? 残念ながら全て違います。
もし変わっていなければ、いま私が見ているのと同じように、あの懐かしい曲名が表示されるはずです。

この曲に出てくる、「明治生まれのコンピュータ」とは、実際には、おばあさんの事なのですが、お孫さんから見て「算数国語社会、なんでもどんと来い」であることを指してコンピュータと表現されています。お孫さんと同居し、宿題をいつも見てあげていたのでしょうか。歌詞によると英語もできるようで、本当に素敵なおばあさまですね!
そう、もうお分かりですね。みんなのうたで 1980年代から放送されていた、「コンピュータおばあちゃん」です。

「明治生まれのコンピュータ」と、今のコンピュータではどちらが優れているかといえば、それは間違いなく前者です。
しかし、現代のコンピュータは、現代のコンピュータなりに成長を続けています。
「人工知能」はコンピュータ技術者の言わば夢の一つですが、例えば完全に論理的なチェスや将棋の世界では、既にコンピュータは人間を凌駕しつつあります。

IBM が制作したスーパーコンピュータ Deep Blueが、当時のチェス世界チャンピオン ガルリ・カスパロフ氏を破ったのは既に20年近く前の 1997年、将棋では捕獲した駒を自軍の手駒として「打つ」ルールが存在することで、コンピュータにとってより複雑ですが、2014年に行われた将棋のプロ棋士5人とコンピュータ将棋ソフトが対戦する団体戦ではコンピュータの4勝1敗という結果でした。

Kasparov-DeepBlue

こうしたコンピュータの活躍は、例えばチェスや将棋で言えば10手先とか20手先も完全に読める演算能力の結果だと思われる方が多いと思いますが、実際にはそれだけでプロを負かすことはできません。これらのコンピュータは、過去の棋士の対局を大量にインプットし、解析することで強くなりました。つまり、演算能力(Deep Blue は、一秒間に2億手を読んだそうです)も勿論大切ですが、大きなポイントはむしろ「データの力」、それによるパターン認識の力が大きかったのではないかと私は考えています。出鱈目に先を計算しても、解ききれるものではありません。人間でいうと、瞬時に例えば5種類の選択肢に絞り込む、「直感力」に相当するものがデータ解析によってもたらされたという事です。

それで世界チャンピオンを破ったのですから、データおよびそこから導かれるパターン認識の力はものすごいものがあると言えるのかもしれません。いま、国立情報学研究所の人工知能研究チームは、2021年までに東大入試合格を目指しているそうです。大変有意義な研究だと思いますが、個人的には、東大入試側にがんばってほしいと思ってしまいます。

というのは、パターン認識形成は立派な「知能」には違いありませんが、それはあくまでこれまでにあった過去の積み重ねの総括を効率的に行うことであり、本当に「考える」、「産みだす」活動とは少し違うようにも思うからです。
大学入試も、「情報処理能力」だけを問うだけのものであっては、少しさびしいでしょう。

AI

では逆に、絶対に人間にしかできない仕事とは何でしょうか。
最近、ニューズウィークで面白い記事から、一つ例をあげましょう。
"Airbnb" というサイトをご存知でしょうか?
これは、民間個人の空き室の短期的な貸し借りを仲介するサイトです。米国では、自動車、3Dプリンタ等々の個人間貸し借りを仲介するビジネスが広がりを見せていますが、その「部屋」版と考えれば良いと思います。

その生い立ちがとても面白く、お金に困った若者2人が、空気で膨らませる簡易ベッド、簡素な朝食(Airbed and Breakfast、略して Airbnb ですね)を提供し、生活資金の足しにしたのが始まりだというのです。こうした新しいアイディアは、どれだけ過去のデータを分析しても見いだせないでしょう。

オクスフォード大学のオズボーン博士は、今後10~20年後の間に、コンピュータに取って変わられてしまう恐れのある仕事を論文の中で紹介しています。これによると、テレマーケター、データ入力業などは、99%の確率でコンピュータに取って変わられる、と予測されています。
私がこのことを知ったのは、天気予報士である森田正光さんのラジオ番組で、でしたが、氏は、「天気予報士だってコンピュータに取って変わられてしまうのではないか?」という多少意地悪な質問に対し、次のような趣旨のことを答えていたと思います。(私の記憶によるものですが。)
「そうかもしれない、しかし少なくとも現時点では、コンピュータの予測をそのまま予報とする訳にはいかないし、訓練を積んだ人間の目が大切だ。」

実はこれ、当社のサービスに関わるプロ達が異口同音に言う事と全く同じです。
セキュリティ監視でも、脆弱性診断でも、ツールは用いるが、手を抜いてそれに任せることはできず、十分に訓練を積んだ人間の目を通さなければ、少なくとも現時点ではお客様に提供できる品質に達し得ないのです。

ラック社の、「昭和生まれのコンピュータ」達は、今日もそんなこだわりをもって仕事にあたっています。(いや、平成生まれも既にいますけど)

前述の天気予報士、森田正光さんは、「役に立たないと思う本こそ買え」という、大変面白い書籍を刊行しています。これは氏の、天気と関係しない書籍も大量に含まれる読書遍歴を紹介する本ですが、私はこの本がとても好きです。コンピュータは、与えられた静的で数学的な価値観(例えば、売上を最大化する、見込み客数を最大化するなど)と条件設定の中で、価値を最大化できる確率が高い「答え」を割り出せるようになるでしょう。
しかし、そもそも「何が価値なのか」ということは、本当は後から振り返ってはじめて把握できるものなのではないか? この本のタイトルは、もしかしてそうした疑問を投げかけているのかもしれませんね。

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